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2019/12/19
7.怪しい動き、ついに発覚
夢野株式会社は私が入社した10年前と比べると大きく変貌した。そして、更に成長を続けていける企業である、私はそう確信している。勿論、企業が成長を続けるためには多くの課題と向き合わざるを得ないことは当然のことであるが、それらの課題と真正面から向き合う姿勢が夢野の幹部には備わってきている。このように大きな変革を遂げてきた背景には何があるのか。ひと言で表現するならば『経営トップの揺るぎないリーダーシップ』と言えるだろう。
10年前の夢野は、世の中が大きく変化しているにも関わらず、自分たちの既得権益を守ろうとして変化することを嫌う管理職が幅を利かせていた。会社はまさにゆでガエル状態であった。これでは、健全な企業経営など出来るはずもない。実際にその当時は、世の中に受け入れられる新製品の開発が進んでいなかった。先輩諸氏が残してくれたお客様との関係の上に胡坐をかき、売ったのではなく、売れただけのことに誰も気づいていなかった。
管理職は人材を育成するのではなく、支配しようと躍起なっていた。このような風潮がまだ色濃く残っていた。
波乱万丈 営業改革体験記①~⑥でもご紹介してきたように、このような状態の中で改革を進めていくことは決して容易なことではなかった。
契約書を作成し、製品を売買する際の契約締結を徹底する。社員の評価を人材育成に繋げていく。外部講師を招いて研修を実施する。即、成果が出るわけではなかったが、このような他の会社ではあたり前のような取り組みを愚直に実践するしかなかった。草の根運動のような取り組み、この動きを脅威に感じていた社員は少なくなかっただろう、特に営業部門の幹部はそうであったと思う。
このように、変革に向けた動きを始めた矢先にある大きな事件が発覚したのである。この事件は夢野に衝撃をもたらした。
ある時、私は過去5年間にわたる各営業所の売上・利益の実績を調べていた。するとある事実に気づいた。過去3年間に限り、それ以前は全国で上位の業績を保っていた東北営業所の業績が低迷しており逆に、それまで低迷していた東海営業所の業績が一気に上昇していたのである。この3年間は東北営業所の所長が人事異動で東海営業所に赴任していた3年間である。誰もが東海営業所に赴任し業績を向上させた所長の手腕を評価していた。しかし、私は根拠のない違和感を覚えていた。東北営業所から異動してきた所長のマネジメント力で東海営業所の業績が上がるのはわかるが、その所長が抜けた東北営業所の業績が一気に下がっていることが気になっていた。
私は業績が上向いて3年が経過した後、東海営業所の所長を引き継いだ橋本所長に過去3年間の業績について何かおかしなことがないか、時間がある時に調べるよう指示していた。
そんなある日、東海営業所の橋本所長から連絡が入った。橋本が東海営業所に異動、着任して3ヶ月が過ぎた頃のことであった。東海営業所は私が担当するエリアの中核に位置付けられる営業所であり、橋本所長も夢野におけるやり手の一人だった。橋本所長の前任者は、今は統括部長を兼務している中村部長で、私と同じレイヤーであった。中村部長には誰も逆らうことが出来ないような独特なオーラがあり、カリスマとして誰もが一目を置く名物マネジャーであった。
橋本所長から入った一報は次のような内容であった。
『厚樹さん、やはり何かおかしいです、嫌な予感がします。厚樹さんから指示されたことではなく、他に調べたいことがあります。一緒に調べていただけませんか』との内容であった。橋本所長は2年前に販売したある製品の価格があまりにも安いことが気になっていたようである。
数日後、私は東海営業所に出向いた。私と橋本所長の調査は低価格で販売されていた製品の取引実態を調べるところから始まった。内々に調べを進めていたつもりであるが、ある社員(西城)の様子がおかしいことに気づく迄にそれ程時間はかからなかった。私には西城が何かに怯えているように思えた。もしかしたら西城は何かを知っているかもしれない。西城に何か知っていることはないか、聞きたいという衝動に駆られたが、安易に聞くことは出来なかった。西城に聞けば、我々が低価格で販売した製品の取引について調査していることが表沙汰になってしまう。何か別の方法がないか考えたが、事実を確認するためには該当製品を販売した先のお客様に直接確認すること以外は思いつかなかった。しかし、この方法もリスクが高すぎる。結果的にその日、西城に確認することはやめた。←カットしてもいいかと
調査初日の夜、橋本所長と食事をしながら事実を確認する方法について確認したが、結果的には(当然といえば当然だが)お客様に確認するよりも西城に確認した方がまだリスクは低いとの判断に至った。翌日、我々が調査について西城に伝えたうえで何か知っていることはないか聞いてみた。西城は前日の怯えた表情とは打って変わって、何かを決意したように落ち着いた口調で我々が調べている低価格販売の実態を話し始めた。
製品の販売先は個人商店A様である。その製品を納品する数日前にA様から『代金は現金で支払うから領収書を持参してほしい』と連絡が入った。金額は150万円。基本的には振込払いをお願いしているため、西城は中村部長にその事実を報告した。すると中村部長は納品時に同行することを西城に告げた。その時点で西城は何が起こるかわかっていたようである。
当日、納品を終えて代金を回収、領収書を準備する際に西城は中村部長から領収書の改ざんを指示された。お客様にお渡しする領収書は確かに150万円と記載されている。一方、請求書控えには120万円と記載されている。販売実績を調べると確かに120万円で販売したことになっている。複写になっている領収書の改ざん方法について中村部長からこと細かく西城に指示されていたのである。中村部長は自ら手を汚すことはない。筆跡という証拠を残さないためである。集金した額は150万円、会社に入金した額は120万円。その差額の行方については説明するまでもないことである。
西城の話はこれで終わりではなかった。協力会社数社から空領収書をもらってくるよう指示され、各社それぞれ複数枚の空領収書を発行してもらうことも2度や3度では無かったという。それに関しても中村部長は西城に指示を出すだけで自ら手は汚していなかった。架空の取引に対して発行された領収書の金額も全て西城が書かされていた。
中村部長が東海営業所に在籍していた3年間の営業実態に関しても、東海営業所に来るまで長年に渡り在籍していた東北営業所を利用して驚くべき不正が行われていた。中村部長は東海営業所に着任早々、個人で経営しているB商社に話を持ち掛けた。
その内容はこうである。
- 東北営業所で受注した製品を東海営業所が受注したことにする
- 東海営業所はその製品を一旦、B商社に販売する
- B商社から東北営業所が受注した実際のお客様に製品を販売する
つまり、実際に受注した東北営業所の案件が東海営業所の販売実績になるのである。こんなことをしていたのだから、中村部長が在籍していた3年間に限り東海営業所の販売実績が伸び、東北営業所の販売実績が下がるのは当然であった。
西城からの報告は衝撃的であった。しかし、中村部長は西城に指示はするものの、自ら手を汚してはいないため、証拠を揃えなければ事実を報告してくれた西城に報いることができない。西城からの報告内容をそのまま社長に報告し、その後の対応を協議した。
総務の責任者と私、橋本所長の3人で内々に調査をすることとなった。約1ヶ月をかけて西城の報告にあった通り、お客様のA様、協力会社3社、B商社、それぞれを回り証拠集めに奔走した。社内では帳票類を徹底的に調べた。社内でも他の社員にはわからないように調査を進めなければならないため調査は早朝、深夜になることもあり、苦労はあったものの全ての証拠を揃え、事実を解明することができた。それと並行して、総務部では中村部長が長年に渡り在籍していた東北営業所に関しても調査を進めていた。その実態たるや驚くべきものであった。
結果的に中村部長は会社を去ることとなった。西城も自ら会社を去った。西城は中村部長に利用されていただけであったものの、罪の片棒を担いだという意識を拭い切れなかったようである。我々としては慰留に努めたが西城の意思は堅かった。
この後、『実は中村部長は怪しいと思っていた』というニュアンスの声を耳にすることが多々あった。私は中村部長の罪よりも、中村部長のことを怪しいと思っていながら数十年も放置されていた事実、社風の方が問題だと確信した。
夢野ではこの事件を機に膿を出し切ろうとする動きが始まった。コンプライアンスに対する意識を高めていく必要性にやっと気づき始めたのである。しかし、何十年もの時間を要して醸成されてきた社風を一気に変えるのは生易しいことではなかった。
この後、社員の内部告発により次なる事件が発覚した。これも私が担当するエリアで起こった。私は唖然とした。会社を変える、改革をすることなどとんでもない話である。これでは改革のスタート地点にすら立てない。本気で膿を出さなければ夢野は駄目になる、私は切実にそう思った。
この事件でも管理職の一人が会社を去ることになった。会社を去った社員の上司は私である。勿論、私も処分を受けることとなった。そして勤務地も変わった。私自身に対する処分、処遇に異を唱える気はなかったが、自分の周りで立て続けに起こる事件と向き合う中で、何かを変える事の難しさを痛感するとともに、日常のコミュニケーションの量や質がいかに大切であるかを改めて実感した。
この事件については次回の波乱万丈・営業改革体験記⑧でお伝えしたいと思います。そして、これら2つの事件を通じて夢野がどのように変革を遂げようとしたのかについても更に詳しくご紹介させていただきます。
著作:厚樹 重茂
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