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2016/10/28

1978年10月から79年4月にかけて半期(6ヶ月)は、1号機の販売からは、数々の幸運に恵まれ、順調に成果を上げた。新人用として設定された目標値もクリアーでき、まずまずのスタートとなった。まったく売れなかった研修の時がうそのようだった。関根は次の半期も目標値をクリアーし、営業としての自信もついてきた。
1979年10月、配属2年目のスタートだ。ここからはもう新人ではない。社内の職位も新人をあらわすトレーニーから、ジュニアセールスへと1段階上がった。1年後輩も入ってきた。これからは一番身近な先輩として、いろいろとアドバイスする立場だ。
入ってきた新人は、太田裕也、配属されたチームは、2つ隣の係だ。ここの係長は田島徹、数字へのこだわりが強いヤマトビジネスマシンの営業部隊の中でも特に業績達成にこだわるマネジャーだ。田島係長の強い意向で、新人の太田には、新規開拓だけでなくユーザーも担当させるとのことだった。通常は、新人からの3年間は、新規開拓だけに専念させて、営業としての基盤をつくるのが、ヤマトビジネスマシンの方針だった。なぜユーザーを担当させるのか、関根には不思議だった。
早速、太田が関根のところに挨拶に来る。「関根さん、よろしくお願いします。」と無難な挨拶だ。営業研修時のトレーナー(講師)の話で盛り上がる。なかなか抜け目のなさそうなタイプに見える。5分程とりとめのない話をして、太田の挨拶は終わった。
この日の仕事が終え、帰りは、久しぶりに同期のトップセールス横山浩二と飲みに行った。そこで、後輩の太田の話になった。どうやら夕方、横山から営業の仕方を聞き出そうと、ずいぶん質問してきたようだった。「俺には何も聞きに来なかったぞ」と関根が話すと、横山は「まいったよ。質問攻めでな」と言っていた。初めから対応がずいぶん違うようだ。「まあ、横山はスターなんだからな。しょうがないだろう。せいぜい教えてやれよ」と言ってはみたものの、なんか軽くあしらわれている感じもした。
さて、1979年11月に入り、京都は紅葉シーズンの到来だ。幹線道路が混むので、バスが遅くなり、移動が大変だ。
関根は今期から担当地域が上京区に変わった。京都の伝統工芸の西陣織の帯作り関連職人と産地問屋がたくさんある。担当地域のど真ん中には、京都御所がある。今まで以上に京都らしい地域だ。
活動を始めて見ると、気づいたことがあった。今までの中京区は京都のビジネスの中心街で、大手企業の出先も多かった。関根の会社:ヤマトビジネスマシンもその1社だ。新人時代の1年間で、契約して設置したコピー機の1/3位は、他の支店や営業所で決めてくれて連絡が来たものか、お客様から自社指名で問い合わせて来たものだった。ヤマトビジネスマシンでは、これを『お呼び』と言い、「運も実力のうち」と評して、業績評価に組み入れていた。関根の業績はこの分がかさ上げされていたというわけだ。
さて、上京区が担当となるとこのお呼びが全くなくなった。関根は、今までいかに恵まれた地区で営業していたことかと思い知った。同期の横山の担当地域が恵まれているなんて思っていたが、お門違いだった。自分が甘かったのだ。

その2「後輩」へ続く
著作:渡邊茂一郎

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