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2020/01/26
8.経営者の決断、膿を出し切る(厳格さとは何かを知る)
前回、7話(怪しい動きついに発覚)の冒頭に私は『夢野株式会社は10年前と比べると大きく変貌した。そして、更に成長を続けていける企業である』と書いた。これだけの不祥事が立て続けに起こったことは事実である。にもかかわらずなぜ、私がそう言い切れるのか、今回はその点も含め紹介していきたい。
残念ながらあり得ない不正、不祥事が実際に起こってしまった。私はその事実よりも、不祥事発覚後のしらけきった社員の様子がとても気になっていた。『やっぱりな』、『起こるべくして起きた』、『いつかこんな日が来ると思っていた』という社員の発言が多方面から漏れ伝わってきた。社員は具体的なことまでは分からずとも、本来あってはならない何かが社内で行われていたことを知っていたのだと思った。
社員が知っているということは経営幹部および経営トップも何らかの情報は伝わっていたはずである。具体的な証拠があるわけではないから見て見ぬふりをしてやり過ごしていたのか、『疑わしきは罰せず』で、社員を信用しているスタンスを貫いていたのか、真実は定かではないが会社の雰囲気がよくないと感じていた背景にはこのようなことが少なからず起因していたのだと思った。
私は夢野に入社した頃をあれこれ思い出していた。私に向けられる警戒心に満ちた冷たい視線、まともに口をきいてくれない同僚の存在、何とも言えない疎外感、居心地の悪さ。私が感じた夢野に対する違和感は私自身に問題が無かったとは言わないが、それ以上に夢野が長年に渡る歴史の中で積み重ねてきた悪しき慣習が育んだ企業風土が要因の一つであることは誰も否定できないと思う。
一つ目の大きな不祥事が発覚し、後処理に追われている中、私は社長に呼び出された。
前任者の不祥事とはいえ、不祥事が発覚したそのエリアを今は私が担当している。
社長からは『過去も含めて全ての責任を負うのが管理職の役割である、つまり過去も含めて今、ここで起こっていることそして、今後のことは全て厚樹さんの責任です』と厳しい言葉が飛んできた。
ことあるごとに社長は「最後はすべて社長である自分の責任です」という言葉を発する。今回の不祥事についてもすべて社長自身の責任であるとの思いを持ち不祥事から目を背けることは無かった。そのうえで同じ過ちを二度と起こしてはならない、起こらないようしてほしいとの思いがあったが故に私に対して厳しい言葉を発したのだ。
今ではこのように思えるだが、実際その時はどうであったかというと『前任者の後始末までやらせてしまって申し訳ない』というニュアンスの言葉でもあるだろうと思っていたので、社長の言葉を聞いた瞬間は驚きと戸惑いがあったのも事実である。
しかし、決して嫌な気持ちにはならなかった。私の勝手な解釈ではあるが、社長も心を鬼にして『全てが厚樹さんの責任』であると言われたのだと受け止めた。この言葉は私に対する最大の敬意であると素直に受け止めることができた。と同時に自分の甘さを見抜かれたような気もした。前任者の責任、会社の風土の問題、自分は被害者だ、と言うことはいくらでもできる。実際、私はそのような気持ちを抱いていた。周りのせいにしていれば気は楽である。ただ、周りのせいにしたところで何かが変わるだろうか、他責にしても何一つ変わらないこともわかっていた。
もし、この状況で私が社長の立場だったらどんな言葉をかけていただろうか?その時の私であれば『厚樹さん、厚樹さんが悪いわけではないのに申し訳ないね。厚樹さんには苦労をかけるが、こうやって膿を出しながら少しずついい会社にできるよう引き続き力を貸してください』と話したと思う。この言葉が本当に相手のためになるだろうか、本当に相手のことを思い、考えての発言だと言えるだろうか、今の私の答えはノーである。
結局、自分が悪く思われたくないだけのことである。相手のことを思い、気遣っているように振る舞い、その場はお互い傷つかず、悪い感情を抱くことなく会話を終えたとしても、この先、実際に何らかの変化を起こすことができるだろうか。伝える方にも伝えられる方にも何の変化もないだろう。経営者として会社のことを考え、社員のことを考えるのであれば、自分のことよりも相手のことを思い、そして今のことだけではなく更に先のことを見据えて発言をするべきである。そのために何が必要か、私が学んだことは『厳格さ』である。
直後に発生した二つ目の不祥事が発覚した際にも当事者は懲戒解雇、その上司であった私自身も懲戒処分を受けた。私は懲戒処分を受けたことよりも社長から『厚樹さんの甘さが招いた不祥事であることを認識してください』という二度目の厳しい言葉の方が遥かに大きな衝撃として胸に突き刺さった。さすがにその時ばかりは腹が立った。合わせて情けない気持ちになった。数日間、悶々としていたが、やっと自分の気持ちも落ち着き、私の甘さが招いた不祥事であることを是としてあれこれ考えてみた。
私が厳格であったならば今回の不祥事が本当に起こらなかったのか、私が厳格さを持ち合わせていたとしても起こってしまったのかは誰にもわからないことではある。だがもし、私自身が『厳格』であったならば、今回の不祥事は起こらなかったと思い込むことにした。自身を振り返ってみると自分には多くの甘さ、曖昧な点が多々あったことに気づいた。それまでの自分が『厳格』であったかと聞かれれば決してそうではなかった。
私に厳しい指摘をした社長自身が誰よりも自分の責任であることを強く感じていたのはわかっていた。社長は私を経営幹部の一人であると認め、期待してくれているが故に『厚樹さんの責任である』と言ってくれたのである、私はそう受け止めることができた。先にも述べたように私は、立て続けに私の周りで起きた重大な二つの不祥事を通じて『厳格さ』の重要性を強く実感することとなった。厳格さは何か問題が起こった時の対応のスタンスではなく、日頃のマネジメント、意思決定の際に不可欠な姿勢、スタンスである。
不祥事発覚後、会社はコンプライアンスを徹底的に見直し、取り決めたことを曖昧にすることなく実践している。決めたことを実践する、実は口で言うほど簡単なことではない。人は楽な方へ流されていく、その流れを食い止め、あえて厳しい道へ導いていくためには経営幹部の強い意志と行動力が不可欠である。今の夢野の経営幹部の間に『厳格』という言葉が飛び交っているわけではないが、各自の姿勢・行動の中心には厳格さが根付き始めていた。
社長自身も言葉で『厳格』とは言わないが、社長自身の姿勢、発言、行動は決してぶれることなく常に『厳格』である。これこそがまさに社長のリーダーシップである。私はそう見ている。夢野は社長の厳格なリーダーシップが存在している限り、社長のリーダーシップに導かれ発展し続ける会社であると信じている。
私自身に置き換えるならば、自分自身が厳格であること、そしてその厳格さを曖昧にせず、しっかり発信し続けることの大切さを実感している。これから先、自分自身がどのような環境に身を置くことになるかはわからないが、どのようになったとしても、私は相手の自信と自尊心を尊重できる人、そして厳格さを持ち合わせた人になれるよう挑戦し続けていく覚悟である。
著作:厚樹 重茂
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